この世の向こう側には輝かしい「いのち」があります。それは、わたしたちの想像をはるかに超えたすばらしい「いのち」です。そして、確固とした根拠があるからこそ、わたしたちはその「いのち」に希望をもつことができるのです。 ベティー・イーディー著 『死んで私が体験したこと』
2020年7月のブログ記事
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自分を許すということが、すべてを許すことの出発点だったのです。自分のことが許せない人には、隣人を心から許すことができません。 ベティー・イーディー著 『死んで私が体験したこと』
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「あなたがたは、この世にあっては、暗い体験も明るい体験もどちらも必要だったのです。喜びがわかるようになるには、悲しみを知らなければいけません」 ベティー・イーディー著 『死んで私が体験したこと』
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「いちばんたいせつなもの、それは愛。いちばんたいせつなもの、それは愛。そして愛は喜び」 ベティー・イーディー著 『死んで私が体験したこと』
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「もし、生まれるまえの自分の姿を見ることができたら、自分があまりに知性的で栄光に輝いた姿をしているので、びっくりするにちがいない。この世に生まれることは、眠ること、そして、忘れることなのだ」 ベティー・イーディー著 『死んで私が体験したこと』
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すべての知識のなかでいちばんたいせつな知識は、イエス・キリストを知ることです。イエスさまは、わたしたちがふるさとへ戻っていくための門だったのです。ふるさとへ戻るための、たったひとつの門なのです。 ベティー・イーディー著 「死んで私が体験したこと」
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「『死ぬ』ということは、もうひとつの状態に移されるだけのことなのです」 ベティー・イーディー著 「死んで私が体験したこと」
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「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできること、それがお前の得意なものだ」 「それが見つかればしがみつけ。必ず道は開く」 連続テレビ小説『エール』より